『雪渡り』なぜ、狐たちは涙を流したのか
▶ YouTubeで見る『雪渡り』がわかる!|なぜ、狐たちは涙を流したのか?宮沢賢治の『雪渡り』は、人間の子どもと狐が出会うお話です。
物語の終わりに、狐の子どもたちはきらきらと涙をこぼします。人間の子どもが、黍団子を食べてくれただけなのに。狐たちは、何がそんなにうれしかったのでしょうか。
凍った雪原で、白い子狐と出会う

ある冬の日、雪がかちかちに凍って、いつもは歩けない畑や草むらの上まで、どこまでも歩けるようになりました。
四郎とかん子の兄妹は、歌を歌いながら雪原を歩いていきます。森に向かって狐をからかう歌を歌うと、森の中から白い子狐の紺三郎が現れました。
「狐の団子は兎のふん」と言われて

かん子は、狐の団子なんて兎のふんだ、とからかいます。狐は人間をだますもの、と思われていたからです。
紺三郎は「そんなことはないよ」と言い返します。自分たちの黍団子は、畑を耕してちゃんと作ったものだし、人をだましたりもしない、と。そして二人を、狐小学校の幻燈会に招待しました。
幻燈会で映し出されたもの

幻燈とは、光を使って絵や写真を大きく映し出すもので、今でいう映画のようなものです。月夜の晩、四郎とかん子は、たくさんの子狐たちが待つ幻燈会へ出かけます。
最初に映し出されたのは、お酒に酔った人間が、野原で変なものを食べてしまった写真でした。
黍団子を、食べるか、食べないか

幻燈会の途中で、狐の女の子が二人に黍団子を持ってきます。
さっきの幻燈では、人間が変なものを食べていました。狐の子どもたちは、二人が団子を食べるかどうか、じっと見つめています。四郎は、紺三郎が自分たちをだますとは思わない、とかん子に伝え、二人は黍団子を全部食べました。団子は、ほっぺたが落ちそうなくらいおいしかったのです。
信じてもらえたことが、うれしかった

幻燈会の最後に、紺三郎はみんなに話します。人間の子どもが狐の作ったものを食べてくれたことを忘れずに、これからも正直に生きて、狐の悪い評判をなくしていこう、と。狐の子どもたちは立ち上がり、涙をこぼしました。
狐たちがうれしかったのは、団子を食べてもらったことそのものより、だますと言われてきた自分たちを、人間の子どもが信じてくれたことだったのかもしれません。信じてもらえたから、今度はその信頼に応えようとしたのです。
考えてみたい問い
| 問い | 考える手がかり |
|---|---|
| もし四郎やかん子だったら、狐の黍団子を食べた? | さっき見た幻燈と、紺三郎の言葉を思い出す |
| 狐の子どもたちは、なぜ涙を流したのだろう? | 狐たちがそれまで人間にどう思われていたか |
| 人に信じてもらえると、その人はどう変わる? | 紺三郎がみんなに呼びかけたこと |
| 狐たちは、本当にやさしいだけだったのだろうか? | 幻燈会で起きたことを、順番に見直してみる |
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