『海の命』なぜ、太一は巨大なクエを殺さなかったのか
▶ YouTubeで見る『海の命』がわかる!|なぜ、太一は巨大なクエを殺さなかったのか?立松和平の『海の命』は、海で生きる漁師の太一が、一人前の漁師へと育っていく物語です。
物語の終わりに、太一は岩のように大きなクエと向き合います。父の命を奪ったかもしれない魚。これを捕まえれば、夢がかなうはずでした。ところが太一は、もりを下ろしてしまいます。ずっと追いかけてきたのに、なぜでしょうか。
父の海

太一は、代々漁師の家に生まれた男の子です。父は、潮の流れが速い海にもぐって、大きな魚を捕る腕のいい漁師でした。
立派な魚を捕っても自慢することはなく、海の恵みに感謝する人でした。そんな父にあこがれ、いつか一緒に海へ出ることが、太一の夢だったのです。
父が帰らなかった日

ところがある日、父の船だけが海で見つかります。仲間がもぐってみると、父は水中で亡くなっていました。父のもりは、岩のように動かない巨大なクエに突き刺さっていたのです。
父と一緒に海へ出る夢は、かなわなくなりました。それでも太一は、漁師になる道を選びます。
もう一人の師匠・与吉じいさ

中学校を卒業する年、太一は与吉じいさという一本釣りの漁師に弟子入りします。もぐって魚を捕る父とは、漁のしかたが違う漁師です。
与吉じいさは、タイを二十匹釣ると、まだ釣れるのに漁をやめて帰ってしまいます。もっと捕れるのに、どうしてなのでしょうか。
千匹のうち、一匹をもらえば十分

与吉じいさは、海にいる千匹の魚のうち、一匹をもらえば十分だと考える人でした。とりすぎなければ、明日の海にも魚がいる。海とともに生きていくための考え方です。
太一は、漁の技だけでなく、海との付き合い方も学びました。そして、与吉じいさに村一番の漁師と認められるほどに成長します。
忘れられない魚

やがて与吉じいさも亡くなります。太一には、忘れられない魚が残っていました。父を破った、あの巨大なクエです。
太一は、父が亡くなった海にもぐり続けました。母は、太一まで帰らなくなるのではないかと心配します。それでも太一は、父を破った魚を捕まえてこそ、本当の一人前になれると考えていたのです。
岩穴の奥の、青く光る目

もぐり続けて、ほぼ一年。太一は岩穴の奥で、青く光る目を見つけます。全身は見えませんが、百五十キロを優に超えると思えるほどの、巨大なクエでした。
父を破った魚なのか、太一にも確信はありません。それでも、探し続けた瀬の主かもしれないと思い、もりを向けます。ところがクエは逃げようとせず、おだやかな目で、じっと太一を見ているのです。太一は、この魚を捕らなければ一人前にはなれないと思い、泣きそうになります。
「おとう、ここにおられたのですか」

そして太一は、ふっとほほえみ、もりを打たずに、心の中でクエに呼びかけます。「おとう、ここにおられたのですか。また会いに来ますから。」
父が魚に変身した、というわけではありません。太一は、目の前のクエに父の姿を重ねたのかもしれません。そして、この大きな魚を「海の命」だと思えたのです。
夢の意味が変わった

その後も太一は、村一番の漁師であり続けました。家庭をもち、年を重ねても、あのクエを見つけたことは、生涯だれにも話しませんでした。
太一ははじめ、巨大なクエを捕まえることで一人前になろうとしていました。でも、与吉じいさは、魚をたくさん捕ることだけが大切だとは考えていませんでした。父も、海の恵みに感謝する漁師でした。二人とも、海とともに生きていたのです。
太一は、夢をあきらめたのではなく、夢の意味が変わったのではないでしょうか。大きな魚を捕まえることではなく、海とともに生きていくこと。それが、太一の見つけた一人前の漁師の姿だったのかもしれません。だからこそ、クエとの出来事をだれかに話して、証明する必要もなかったのです。
考えてみたい問い
| 問い | 考える手がかり |
|---|---|
| 太一がクエを殺さなかったのは、なぜだろう? | 与吉じいさの「千匹に一匹」の考え方と、父の生き方 |
| 太一は、なぜクエを「おとう」と呼んだのだろう? | クエのおだやかな目と、太一が思い出したもの |
| 太一にとっての「一人前の漁師」は、物語の中でどう変わった? | クエを追い始めたころと、物語の終わりの太一 |
| 太一は、なぜクエのことをだれにも話さなかったのだろう? | 村一番の漁師であり続けたこと |
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