ミアとハルン 小さな魔法使いの旅
火の魔法


旅の途中、小さな魔法使いの姉弟は、先生のあとについて、森の道を急いでいた。
日が沈むと、森は色をなくしていく。木の幹も、地面も、どんどん影に包まれていった。
「先生、まだ?」
姉のミアが、少し息をきらして言った。
「もう少しです。この先に、村があります」
先生が、おだやかな声で答える。
そのときだった。

ガサッと、やぶが鳴った。
木々の間に、何かがうごめいている。四つ足の大きな獣。その目だけが、うす闇の中で、光っている。
一頭じゃない。二頭、三頭……。
「……先生」
ミアが、小さく言った。
弟のハルンは、足がすくんで動けなくなってしまった。
森に低いうなり声が響く。
──かくれなきゃ。
考えるより先に、ハルンの足もとの影が、ぐにゃりとのびた。
影が、ハルンの体を、すっと包みこむ。まわりの暗がりに、ハルンの姿が、とけて消えた。
怖いときに、勝手に出てしまう。
かくれるための、影の魔法。

その、すぐあとだった。
一頭の獣が、地面をけって、とびかかってきた。
さっきまで、ハルンとミアが、ならんで立っていたところへ。
ハルンは、もう、そこにいない。
残されたミアに、獣の牙が、まっすぐ向かった。
「ミア!」
ハルンは、叫んだ。
ミアが、しりもちをついて、後ろへ下がる。
獣の牙が、すぐ目の前に──

「ミア、ふせて!」
先生が指を鳴らすと、ぱっと小さな火花が散った。
獣は、びくりと体を引き、後ろへとびのいた。
「二人とも、走りなさい!」
ミアが、はじかれたように立ち上がる。
ハルンも、影から出て、走りだした。
木々の間を、三人はかけぬける。後ろで、獣のうなり声が追いかけてくる。

やがて、森がとぎれ、目の前に村が見えた。
家がならび、その真ん中から、細い火柱が、まっすぐ空へのびていた。
けれど、その火は、どこか弱々しくて、今にも消えそうに揺れている。
獣たちは、村の手前で、ぴたりと足を止めた。
火柱を見上げ、低くうなっている。
しばらくすると、獣たちは、しぶしぶ森へ引き返していった。
「……助かった」
ミアが、ぺたりと座りこんだ。
服のそでが、少し破れていた。
「先生、火の魔法が使えるんだね」
ミアが、まだ少しふるえる声で言った。
「ほんの少しだけですよ」
先生は、指先を見て、ふっと笑った。
「火はね、力づくじゃ、言うことを聞いてくれませんから」
ハルンは、その言葉の意味が、よくわからなかった。
「ミア……ごめん」
「え?」
「ぼくが、かくれたから。ミアが、危なかった」
ミアは、きょとんとして、それから、にっと笑った。
「なに言ってるの。ハルンのせいじゃないでしょ」
「……ぼく、強くなりたい」
ハルンは手をぎゅっと握った。
「影にかくれてばっかりじゃなくて、炎みたいに、まっすぐ立てるように」
ハルンの声は、少しふるえていた。

ミアとハルンは、いっしょに火柱を見上げる。
ハルンは、今にも消えそうな、細い火柱を、だまって見つめていた。
「ここが、火の村です」
先生が、おだやかな声で言った。
「火の精霊さまが住んでいる……はずなのですが」
「はず?」
ミアが聞き返す。
「少し、火が弱っていますね」
三人は、村へ足を踏み入れた。

村の中は、とても静かだった。
みんな、何かに怖がっているような顔をしていた。
「ねえ。こんばんは」
ミアが、家に入ろうとしていた、おくさんに声をかけた。
しかし、おくさんは目をそらして、家の中に入ってしまった。
「どうしたんだろう?」
ハルンは首をかしげる。
「みんな、火にびびっちまってるんだ」
後ろから、男の子の声がした。

振り返ると、ハルンと同じくらいの年の男の子が立っていた。すすで汚れた服を着て、手には小さなたいまつをにぎっている。
「火に?」
「ああ。一回、火が燃え広がったんだ。みんなで消し止めたけど、それから大人たちは、火を使うのが怖くなっちまった」
男の子は、村の真ん中を指さした。
細い火柱が空へのびている。

「この村は、火の精霊さまの火で暮らしてきたんだ。料理も、鉄の仕事も、夜の明かりも、森の獣から村を守るのも、全部、火があったからできた」
男の子は、くやしそうに言った。
「でも、今はだれも火を使いたがらない。だから、精霊さまの力も弱くなってる」
「森の獣……」
ハルンの背すじが、ぞくっとした。
さっき、ミアにとびかかった獣の牙がよぎる。
「最近、森の奥から、群れが近づいてきてる。火が弱くなったからだ。火があれば、あいつらは村に入れない」
「じゃあ、どうするの?」
ミアが聞く。
「おれが守る」
男の子は、たいまつをぎゅっとにぎりなおした。
「みんなが火を使えないなら、おれが使う。怖がってる場合じゃ、ないだろ」
そう言った男の子の手は、ほんの少しふるえていた。
けれど、男の子はその手をかくすように、たいまつを高くかかげた。
ハルンは、その男の子を見つめた。
──ぼくは、さっき、かくれたのに。
「すごいな」
ハルンが言うと、男の子はにっと笑った。
「カイだ。おまえは?」
「……ハルン」
「ハルン、いいか。怖いって思ったら、負けなんだよ」
その言葉が、ハルンの胸にちくりとささった。
夜風がカイのたいまつをゆらし、冷たく吹き抜けていった。

その夜、ハルンはなかなか眠れなかった。
ひとり、宿を抜け出し、火柱があがるやぐらへと向かった。
火柱はゆらゆらと揺れ、まるで、消えたくないとこらえているようだった。
ハルンは座り込み、その火をじっと見つめた。
「力が、ほしいのか」
突然、声がした。

ハルンが振り返ると、そこには、大きな赤黒い獣が立っていた。
曲がった二本の角。背中からは、炎のたてがみがゆらゆらと燃えている。
太い腕。するどい爪。大地を踏みしめる大木のような足。
その姿は、見るだけで足がすくむほどおそろしかった。
──逃げなきゃ!
ハルンの影がスッとのびる。
燃えるような目で、獣はハルンを見つめている。
——あれ?
その目を見つめると、不思議と怖さがなくなっていった。
──獣……じゃない? もしかして──
「あなたが、火の精霊さま?」
ハルンは、少しふるえた声で言った。
「そう呼ぶ者もいる」
火の精霊は、ハルンの目をじっとのぞきこんだ。
「おまえは、力をほしがっているな」
ハルンは、少し考えてから、おそるおそるうなずいた。
「ならば、火をくれてやろう」

精霊が手をのばすと、ハルンの手のひらに、小さな炎が灯った。
赤く、明るく、きれいな火だった。手のひらで、小さく揺れている。
火がぱちっと音を立てたとき、ハルンは思わず手を引っこめた。
熱くも痛くもない。
それでも、怖かった。
「どうした。力が、ほしかったのだろう」
火の精霊は、ハルンをためすように、じっと見つめた。
「その火が、おまえの答えかどうか──ためしてみるがいい」
ハルンは、何も言えなかった。
ただ、火が消えた手で、ローブの裾をぎゅっとにぎった。

次の日の夕方。
空は赤く染まり、村の火柱がゆらゆらと細く揺れていた。
突然、村の鐘が、カンカンカン、と鳴り響いた。
「獣だ!」
だれかが、叫んだ。
森の奥で、黒い影がいくつも動いた。大きな獣の群れが、土をけって、村に向かってくる。
──森で襲ってきた、あいつらだ。
ぎらりと光る目。
低いうなり声。
ミアのそでが破れた、あの瞬間。
ハルンの足が、また、すくみそうになった。
村人たちは、次々と家の中に逃げこんだ。戸の閉まる音が、あちこちで響く。

「おれが行く!」
カイだけが、やぐらに向かって走った。
火柱から火を分けてもらい、たいまつを高くかかげる。
「待って!」
ハルンも、その後を追った。
でも──。
また、かくれてしまったら。
ハルンは、自分の足もとの影を見た。
影は、いつでもハルンをかくせるように、べたりと広がっていた。
獣たちは、低くうなりながら、じわじわと近づいてくる。土のにおいと、獣のにおいが、ぐっと濃くなった。
カイは、獣の前に立ち、たいまつを掲げた。
「来るな!」
火が、ぼうっと燃え上がる。
獣たちが、一歩下がった。
けれど、すぐにまた近づいてくる。
「来るなって、言ってるだろ!」
カイは、火を大きく振り回した。
声がふるえている。

──次の瞬間、カイが掲げるたいまつの火が急に大きく燃え上がり、辺りに飛び散った。
たいまつをにぎったまま、カイはしりもちをついた。
火の粉が、近くの家の壁に、ぱっと飛びうつる。
「うわっ……」
カイは、立ち上がろうとして、足がすくんだ。
炎が、カイと村の間で、めちゃくちゃに暴れ出した。
「危ない!」
ハルンは走った。
──精霊にもらった火なら。
──あの精霊の火なら、この炎に、言うことを聞かせられるかもしれない。
手のひらに、昨夜の火の魔法がよみがえる。
「止まれ!」
ハルンはカイのところに飛び込んだ。
火の魔法をぶつけて、炎をおさえこもうとする。
けれど、炎はもっと大きくなった。
「こっちに、来るな!」
おさえようとすればするほど、火は燃え上がる。
──ダメだ。ぼくには、火を操れない。

ハルンは、カイの腕をつかんだ。
「こっち!」
カイを火の渦の外へ引っ張る。
ハルンは、火の魔法を盾にして、熱い火の間をくぐり、カイを村の方に連れ出すことができた。
「あっ!」
しかし、炎が、「おまえは逃がさない」とでも言うように、ハルンを包み込む。
今度はハルンが火に囲まれてしまった。
赤い炎が、ぐるりと周りをふさぐ。
熱い。逃げないと……。
ハルンの足もとの影が、また、ぐにゃりとのびる。
──かくれれば、逃げられるかもしれない。また、火の魔法を盾にして……。
村の方で、ミアと先生の姿が見えた。ミアの破れたそでが目に入る。
火の向こうで、ミアがなにか叫んでいる。
村人たちも、家の中からこちらを見ている。
ハルンは、ぎゅっと手をにぎった。
──ぼくは、逃げたい。
──でも、守りたいんだ。

そのとき、炎の向こうから、先生が歩いてきた。
先生は、あわてていなかった。
静かな道を歩くように、火の中を進んでくる。
そして、ふるえているハルンの背中に、手のひらをあてた。
「先生……ぼく、消せない。火が、言うことを聞かない」
ハルンは、ぎゅっと目を閉じる。
先生は、何も言わなかった。
ただ、となりに立って、炎を見つめている。
その静かな横顔に、森での声が、よみがえった。
──火はね、力づくじゃ、言うことを聞いてくれませんから。
「怖くてもいい。よく見てごらん」
先生が、小さく言った。
ハルンは、こわごわと目を開いた。
炎越しに、カイが見えた。
しりもちをついたまま、こちらを見て、口だけをぱくぱくさせている。声は、聞こえない。
その後ろには、火の粉をあびる家。
そのまた後ろには、戸のすきまからこちらをうかがう、村人たちの目。
みんな、逃げられずに、そこにいた。
ハルンは、炎を見た。
そして、ゆっくりと息を吸った。
「ぼくは、消したいんじゃない——守りたいんだ」

その瞬間。
足もとから、ハルンの影が、すうっとのびた。
いつもは、かくれるための影。
それが、炎へとそっと伸びてゆく。
燃えるような赤が、根もとから、ゆっくりと深い黒に染まっていく。
ぱちぱちと騒いでいた火が、ふっと静かになった。
黒い炎は、まっすぐ立ち上がり、村と獣の群れの間に立つ。
けれど、その火が燃えるたびに、ハルンの体から、何かがすっとぬけていく。
指先が冷たい。
吐く息が、白い。
ハルンの体の熱を奪って燃えているみたいだった。
獣たちは、黒い火の前で足を止めた。
でも、森へは帰らない。
黒い火が消えるのを、じっと待っている。
ハルンは歯を食いしばった。
──あと、どれくらい、もつのかな……。
指の感覚が、なくなっていく。
火が少しずつ小さくなる。
しりもちをついていたカイが、ハルンの方をじっと見ていた。
カイは、なにかを決心したように立ち上がった。
そして、村の方へ向かって叫んだ。
「火を……火を、持ってきてくれ! たのむ!」
しんと、静まり返る。
だれも出てこない。
「ひとりじゃ、無理なんだ! お願いだ……!」
カイの声が、響き渡った。
村が、ひっそりと息をのんだ。

戸がゆっくりと音を立て、いちばん近くの家から、ひとりの女の人が出てきた。
手には、火の消えたランプ。
女の人は、時間が止まったように、じっと燃え上がる火を見つめていた。
しかし、ぐっとランプを握りしめ、一歩前へと踏み出した。
こわごわとやぐらの火にランプを掲げる。
ぽっ、と小さな明かりが赤く灯る。
その手は、ふるえていた。
でも、その灯りが、村を優しく照らした。
となりの家の戸が開く。
また、ひとり。
また、ひとり。
たいまつに。ランプに。手に持てるものに、火がうつっていく。
一つ、また一つと、村に明かりが増えていった。
村人たちの火が増えるほどに、やぐらの細かった火柱が太くなった。
音もたてず、空へまっすぐ燃え上がる。
その火が、村全体を明るく照らした。
獣たちが、後ずさる。
「みんな! 火だ!」
「精霊さまの火を!」
口々に声が上がり、それと同時に村は明るくなっていった。
獣たちは、一頭、また一頭と、森の奥へ消えていった。
最後の一頭の足音が消えた、そのとき。
ハルンの黒い炎が、ふっと力をなくした。
ひざからくずれる。
倒れかけたハルンを、カイがあわてて受け止めた。
「おい! しっかりしろ!」
ハルンの体は、氷みたいに冷たかった。
黒い炎は、ゆっくりと小さくなり、最後にすうっと消えた。
あとには、こげたにおいと、たくさんの温かい明かりが残った。
火を持った村人たちが、おそるおそる、ハルンとカイの周りに集まってくる。
ひとりの大人が、ぽつりと言った。
「火は……怖いだけじゃ、なかったんだな」
その手のランプの火が、揺れて、温かかった。
カイが、ハルンをささえたまま口を開いた。
「おまえ、すごいな」
ハルンは、冷たい指で、首を横に振った。
「……ひとりじゃ、無理だったよ」
カイは、ちょっとだまった。
それから、照れくさそうに言った。
「……おれも、いま、それ、わかった」
二人は、顔を見合わせて、ちょっとだけ笑った。
ミアが、ハルンのとなりに来た。
「ハルン、強かったね」
ハルンは、少し考えた。
「ううん。怖かったよ」
「そっか」
ミアは笑った。
「でも、逃げなかった」
ハルンは、太くなった火柱を見上げた。
指先は、まだ冷たい。
胸は、まだどきどきしている。
それでも、その火柱がハルンの心を温かく照らしていた。
その夜、ハルンは、やぐらのところに行き、太く立ち上る火柱を見ていた。
「まだ、火は怖いか」
後ろから、火の精霊の声がした。
ハルンは、すぐには答えなかった。
でも、正直に言った。
「怖い」
火の精霊は、目を細めた。
ハルンは、冷たい手のひらをぎゅっとにぎった。
「でも、怖くても、扱えるようになりたい。守れるようになりたいんだ」
火の精霊は、しばらくだまっていた。
それから、ハルンの手をちらりと見て言った。
「あの黒い火は、おまえが守りたいものを焼かない。そのかわり、おまえの熱を奪っていく」
「……うん」
「使うほど、おまえは、冷たくなるぞ」
ハルンは、火柱を見上げた。
そして、ゆっくりうなずいた。
「うん。むやみに使わない。守りたいときに、ちゃんと使えるようになりたい」
火の精霊は、満足そうに笑った。

次の日の朝、ハルンたちは、火の村を後にした。
村の中心では、太い火柱が、まっすぐ空へのびている。
その下では、村人たちが、それぞれの火を手に手に灯していた。
もう、だれも火から目をそらしていなかった。

火の精霊は、三人の背中を見送っていた。
「黒い火か。……おもしろい」
火の精霊が小さくつぶやく。
「おもしろいだろ、あいつら」
赤い髪の男の子が、ひょいと現れた。
大人の街で、ミアに大人になる魔法を貸した精霊だった。
火の精霊が横目で見る。
「こんなところに……。めずらしいな」
「あいつらについてきたんだ。次は、どんなおもしろいものを見せてくれるかな?」
男の子の精霊はいたずらっぽく笑い、楽しそうに手を振ると、ハルンたちの後を追って走り出した。
「……いや、あの方は。……まあ、いいか」
火の精霊はそう言い、ぱちり、と音を立てて消えた。
村の真ん中では、火柱が天を貫くように伸びていた。
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