ミアとハルン 小さな魔法使いの旅
魔法の科学


旅のとちゅう、小さな魔法使いの姉弟は、先生と森をぬける道を歩いていた。
木もれ日が、地面にゆらゆらと模様をつくっている。
「ねえ先生、次の町はまだ?」
姉のミアが、先を歩きながらふり返った。
「この森をぬければ、じきに見えてきますよ」
先生が、おだやかな声で答えた、そのときだった。
ふっと、あたりが暗くなった。
三人の頭の上を、大きな黒い影が通りすぎていく。
弟のハルンが、空を見上げてつぶやいた。
「ドラゴン……?」
翼を広げた、巨大なドラゴンだった。
ミアとハルンは、思わず身がまえた。
けれど、なにかが、おかしい。

ドラゴンの体は大きくかたむいていた。まるで空からこぼれ落ちるように、森の向こうへ消えていった。
ドーン、と遠くで音がした。
鳥たちが、いっせいに飛び立つ。
「今の、落ちたよね?」
「……苦しそうだった」
ハルンが、小さく言った。
「行ってみましょう」
先生が歩き出す。二人も、あわててあとを追った。

木々のとぎれた広場に、そのドラゴンは倒れていた。
銀色のうろこ。ところどころに、歯車のようなものがのぞいている。大きな目は、半分だけ開いて、弱々しく光っていた。
そのそばで、ひとりの女の人が、必死に装置を動かしていた。
くしゃくしゃの深い緑の髪。鎖のついた眼鏡。研究者のような、白い上着。
「魔力の流れが……だめ、まただ。どうして安定しないの……!」
女の人は、ドラゴンの胸のあたりに箱のような道具を当てては、何度も首を横にふっている。
「ねえ、大丈夫?」
ミアが声をかけると、女の人は、びくっと顔を上げた。
「あ……ええと、危ないので、はなれてください。この子、いつ姿勢がくずれるか……」
「この子?」
ハルンが、ドラゴンを見た。
大きな目が、ゆっくりとハルンを見返す。
こわい目じゃなかった。
助けて、と言っているような目だった。

「この子は、スチーム。生き物じゃありません。古代魔法文明で作られた、竜型の魔道具です。乗り物でもあり、研究の相手でもあり……」
女の人は、くちびるをかんだ。
「わたしの、大切な相棒なんです」
スチームの大きな体が、ぐらりとゆれた。
「魔法の原動力が、弱っているんです。ずっと調べているのに、わたしには、直し方がわからなくて……」
スチームの体が、ずずっ、とかたむいた。
女の人が、あわてて支えようとする。でも、小さな体では、どうにもならない。
そのとき、先生が、静かにスチームへ近づいた。
「待って、危な──」
女の人が止めようとした。
けれど先生は、あわてなかった。
まるで、最初から仕組みを知っているかのように、スチームの胸の奥に、そっと手を当てた。
派手な光は、出なかった。
先生はただ、目を閉じて、古い楽器を調律するように、指先をわずかに動かしていく。
乱れていたなにかが、少しずつ、整っていくのがわかった。

スチームの目に、かすかな光がもどる。
くるる、と小さく鳴いた。
女の人は、その手つきを見て、息をのんだ。
「……まさか」
けれど、先生はなにも言わない。
スチームは、ゆっくりと体を起こした。
大きな翼を、たしかめるように、一度だけ動かす。
「翼が……。もどってる」
女の人の声が、ふるえた。
けれど、スチームは、翼をゆっくりとたたむと、その場に、うずくまった。
目の光は、もう消えそうではない。おだやかな目をしていた。
「あの……ありがとうございます。あなたは、いったい……」
先生は、静かに首を横にふるだけだった。
女の人は、眼鏡を直して、あわててぺこりと頭を下げた。
「申しおくれました。わたしはアオイ。古代魔法文明を研究しています」
アオイは、先生の手もとを、じっと見つめた。
「今のは……古代魔法の調律、ですよね。文献でしか、読んだことがありません。どうやって……いえ」
アオイは、ぶんぶんと首をふって、それから、思いきったように言った。
「お願いがあります。スチームのこと、それから、わたしの研究のこと。あなたの力を、貸していただけませんか」
先生は、少しのあいだ、だまっていた。
「私が手を貸せるのは、ここまでです」
そして、静かに首を横にふった。
「そんな……」
アオイが、うつむきかける。
先生は、ミアとハルンを見た。
「ですが──この子たちが、あなたの助けになるでしょう」
「え、わたしたち?」
ミアが、目をぱちくりさせた。
アオイも、目をぱちぱちさせて、二人を見た。
「お二人は……魔法が、使えるんですか?」
「うん! わたしは光の魔法!」
「ぼくは……影の魔法」
「魔法使い……!」

アオイの眼鏡が、きらりと光った。
「わたしは、魔法の研究をしているのに、魔法が使えません。それで、ずっと研究が止まっていたんです。……実は、お願いしたい研究があるんです。こっちです!」
二人はアオイにぐいぐいと手を引かれて、歩き出した。
アオイの研究所は、森のはずれにあった。
本と道具でいっぱいの部屋のおくに、それは置かれていた。
黒い球に歯車と魔法石が、複雑に組み合わさっている。表面には、読めない古代文字がびっしりと刻まれていた。

「わあ……」
ミアが、目をかがやかせて、のぞきこんだ。
「これは、正体不明の古代魔道具です。長いあいだ研究しているのですが、起動方法が、どうしてもわからなくて」
アオイは、ぼろぼろになった古い紙を広げた。
「古文書には、こう書かれています。『空へ放つ』『世界へ広げる』『光を解き放つ』」
読み上げる声が、静かな部屋に響いた。
「わたしは、仮説を立てています。これは、強力な古代兵器。……もしそうなら、まちがった起動をしたしゅんかん、この研究所どころか、森ごと消えるかもしれません」
「兵器……」
ハルンの背すじが、すっと冷たくなった。
魔道具のまん中で眠る小さな光が、静かにまたたいている。
さっきまでは、きれいだと思っていた光。
でも今は、その静けさが、かえって、こわかった。
「じゃあ、なんで研究するの?」
ミアが聞いた。
「本当に兵器なら、だれかが悪いことに使う前に、正体をつきとめないと。……それに」
アオイは、魔道具を見つめた。
「知らないままこわがるのは、研究者の負けですから」
そう言ってメガネをかけ直す。
「わたしは魔法が使えません。だから、お二人の魔法で、この魔道具がどう反応するか、調べさせてほしいんです。魔法は、少しずつ。答えを急がず、まずは観察です」
アオイは、記録ノートを構えた。
ミアとハルンの答えを待たずに、実験は、はじまった。

「じゃ、じゃあ、いくよ!……よくわからないけど」
ミアが、手のひらから光の魔法を送る。
魔道具の表面が、ぽうっと少しだけ明るくなった。
「光に反応、あり。ただし起動には至らず……と」
アオイが、ものすごい速さでノートに書きこむ。
「次、ハルンさん、お願いします」
ハルンが、おそるおそる、小さな影の魔法を送る。
カチ、カチ……と、中の歯車が、かすかに動いた。
「影にも反応! これは興味深いですね。では、お二人同時では?」
ミアとハルンが、いっしょに魔法を送る。
すると、足もとの床に、小さな魔法陣がふわりと広がった。
「出た!」
ミアがさけんだ、次のしゅんかん。
魔法陣は、すうっと消えてしまった。
「ああっ、もう少しだったのに!」
「記録します。二人同時で魔法陣が展開。ただし、維持できず……あれ、ノート。記録ノートがありません。いえ、ありました。持っていました」

アオイは、手に持っていたノートに気づいて、こほんとせきをした。
それから何度も、実験はくり返された。
「仮説その三。魔力の量が足りないのかもしれません。お二人とも、思いきり強い魔法を、お願いします」
「はーい!」
ミアが、両手いっぱいの光をぶつける。
ハルンも、大きな黒い炎を送りこむ。
魔道具は、まぶしいほどに光って──それきり、しんと静かになった。
「……仮説は外れました。つまり、研究は前進しました」
アオイは、めがねを直しながら、きりっと言った。
「え、外れたのに、前進なの?」
ミアが、ふしぎそうに聞く。
「はい。『魔力の量ではない』ということが、わかりましたから。まちがいが一つ見つかるたびに、答えに一歩近づくんです」
「へえー。研究って、おもしろいね!」
「仮説その四。時間かもしれません。夜にだけ動く魔道具の記録が、古文書にありますので」
アオイは、時計を見て言った。
その夜、四人は魔道具のまわりで、月が高くのぼるのを待った。
ミアは、待っているあいだに、こっくりこっくりと眠ってしまった。

月あかりの中、ハルンは、魔道具のそばに座っていた。
窓の外では、スチームが首をのばして、じっと魔道具を見つめていた。
「……スチームは、この道具のこと、知ってるの?」
ハルンが小さく聞くと、スチームは、くるる、とやわらかく鳴いた。
なつかしい友だちに会ったときみたいな、そんな声だった。
——結局、月が真上に来たとき、魔法を注いでも、魔道具は動かなかった。
「仮説その四も、外れ。研究は、また前進です」
アオイはそう言ったけれど、その声は、少しだけしょんぼりしていた。
次の日も、実験は続いた。
光と影を、交互に送っても、だめ。
魔法陣の上に置いてみても、だめ。
古代文字を一つずつなぞってみても、だめ。
「光でもない。火でもない。魔力の量でも、時間でもない。……では、なにが足りないんでしょう」
アオイは、ずれた眼鏡のまま、うでを組んだ。
机の上には、書きこみでまっ黒になった記録ノートが、三冊も積み重なっている。
「うーん、むずかしいねえ」
ミアは言いながらも、どこか楽しそうだった。
ハルンは、魔道具のそばに、じっと座っていた。

目を閉じて、耳をすませる。
歯車の音の、そのおくに、なにかの気配がある気がした。
スチームの目に似た、なにかが。
ハルンは、ふとつぶやいた。
「この道具、こわいものじゃない気がする」
「え?」
アオイが、ふしぎそうにふり返った。
「ですが、これほど大きな魔法陣を広げる道具です。危険なものの可能性が、高いと思うのですが」
「うん。でも……」
ハルンは、うまく言葉にできなくて、だまってしまった。
でも、スチームの目を思い出していた。
空から落ちてきたとき、こわいドラゴンだと思った。
ちがった。
この光も、同じかもしれない。
ミアが、魔道具のまわりを、ぐるりと一周した。
それから、こつんと軽くたたいて、耳を当てる。
「あっ、ミアさん、さわ……」
「うん。わたしも、こわい道具じゃないと思う。なんかこれ、びっくり箱みたい!」
「びっくり箱、ですか?」
「だってね、さっき魔法陣が出たとき、この光、うれしそうだったもん。『開けて開けて』って言ってるみたいだった」
「うれしそう……」
アオイは、ノートにペンを走らせようとして、止めた。
——うれしそう、は、どうやって記録すればいいんだろう。
数字にも、文字にも、できない。
アオイは、めがねのおくの目を細めて、魔道具を、じっと見つめた。
ミアは、ふと思い出したように言った。
「ねえ、ハルン。初めて魔法陣が出たときのこと、覚えてる?」
「うん」
「わたし、あのとき、『動いたらアオイさんびっくりするだろうなあ』って思ってたの。そしたら、動いた」
「……ぼくも」
ハルンが、顔を上げた。
「スチームを助けられて、よかったなって。そう思いながら、魔法を送ってた」
二人は、顔を見合わせた。
「ふうん……?」
部屋のすみで、先生は静かに二人を見ていた。
その表情は、おだやかで、どこかなつかしそうだった。
ミアは、それを見のがさなかった。
「先生、これが何か知ってるの?」
「さあ。アオイさんの研究ですから」
「今、ぜったい知ってる顔した」
先生は、ただ、ほほえむだけだった。
「では……最後の実験を、してみましょう」
アオイが、記録ノートを新しいページにめくった。
ページをめくる指が、一度、止まる。
——もし、兵器だったら。
もし、この起動が、まちがいだったら。
頭の中で、自分の仮説が、ぐるぐると回る。
アオイは、ぎゅっと目を閉じて、それから、開いた。
「お二人の話から、一つ仮説を立てます。この魔道具が反応しているのは、魔力の強さではなく──気持ち、なのかもしれません」
「気持ち?」
「正直、研究者としては、根拠がたりません。数字にも、記録にも、残せませんから。でも」
アオイは、ちらりとスチームの方を見た。
窓の外で、スチームが心配そうに、こちらをのぞいている。
「魔道具に、心のようなものが宿ることを、わたしは知っています」
アオイは、二人の目を、まっすぐ見た。
「お願いできますか」
ミアとハルンは、うなずいた。
二人で、魔道具の前に立つ。
目を閉じる。
——だれかを、笑顔にしたい。
——こわくない光に、したい。

ミアの光と、ハルンの影が、そっと魔道具に流れこんだ。
強い魔法じゃない。
小さくて、あたたかい魔法だった。
カチリ。
歯車が、まわった。
カチ、カチ、カチカチカチ──。
古代文字が、次々と光りだす。まん中で眠っていた光が、ゆっくりと目を覚ますように、大きくふくらんでいく。
「起動……起動しています! 記録、記録を──」
魔道具から、光の柱がまっすぐ空へのぼった。
そして、研究所の庭の空いっぱいに、巨大な魔法陣が広がった。
空をおおいつくすほどの、大きさだった。
アオイの顔から、血の気が引いた。
「これは……やはり、広域展開型の……! 二人とも、はなれて──」
さけびかけた、次のしゅんかん。
ぱんっ。
小さな音がした。
空から、色とりどりの紙ふぶきが、ひらひらと降ってきた。
風船が、ふわふわと浮かび上がる。
花びらが舞い、光でできた鳥が飛び、光の魚が、すいすいと空を泳いだ。
星のような光の粒が、庭いっぱいに、ふわりと広がっていく。

「わあっ! なにこれ、すごい!」
ミアが、紙ふぶきの中で、くるくると回った。
ハルンは、ぽかんと空を見上げて、それから、静かに笑った。
光の鳥が一羽、ハルンの肩をかすめて、空へのぼっていく。
そのときだった。
くるるる……!
スチームが、高く鳴いた。
庭のすみで、ずっとうずくまっていたスチームが、首をのばして、空を見上げている。
舞う紙ふぶき。ふわふわの風船。笑っているミアとハルン。
スチームの目が、きらきらと輝いていた。
スチームは、大きな翼を、ばさりと広げた。
一度。二度。
力強く、地面をける。

そして──銀色の巨体が、ふわりと、空に浮かんだ。
「飛んでる!」
ミアがさけんだ。
「スチーム……!」
アオイは、口を開けたまま、空を見上げた。
飛び方は、まだ少し、ぎこちない。
高くも、のぼれない。
それでも、スチームは、飛んでいた。
紙ふぶきをくぐり、風船のあいだをぬけて、光の鳥たちといっしょに、庭の空を、うれしそうに回っている。
空から落ちてきた、あのドラゴンが。
治ってからも、ずっとうずくまったままだった、あのスチームが。
アオイの目に、じわりとなみだがにじんだ。
「そっか……。あなたも、笑ったんだね」

スチームは、ひとしきり空を回ると、ゆっくりと庭に降りてきて、アオイのほおに、そっと鼻先を寄せた。
アオイは、その首もとに、ぎゅっと抱きついた。
「おかえり。……また、いっしょに飛べるね」
スチームが、くるる、とやさしく鳴いた。
アオイだけが、その場に、固まっていた。
「……兵器じゃ、なかった」
降ってくる紙ふぶきが、アオイの緑の髪に、ちょこんと乗った。
長いあいだ、危険な古代兵器かもしれないと思って、調べ続けてきた魔道具。
その正体は、だれかをおどろかせて、笑顔にするための、お祝いの魔道具だった。
「『空へ放つ』は、紙ふぶきと風船。『世界へ広げる』は、この魔法陣。『光を解き放つ』は……あの鳥たち」
アオイは、ゆっくりと記録ノートを開いた。
「古代兵器の可能性」
その文字に、すうっと線を引く。
そして、新しく書き加えた。
「祝祭用魔道具。人を笑顔にするためのもの」
書き終えて、少し考える。
それから、その下に、もう一行書き足した。
「ただし、これほど大きな魔法を、笑顔のためだけに使った理由は、不明」
アオイは、ペンを止めて、空を見上げた。
光の鳥が、ゆっくりと輪をえがいている。
「……作った人は、どんな人だったんでしょうね」
アオイは、だれに聞くでもなく、つぶやいた。

先生は、庭のすみで、舞い落ちる花びらを一枚、手のひらで受け止めていた。
その横顔は、遠い昔の、だれかを思い出しているようだった。
ミアが、とことこと近づいていく。
「先生、なんで笑ってるの?」
「少し、昔のことを思い出しただけです」
アオイは、先生を見た。
スチームを直した、あの手つき。
魔道具を見たときの、なつかしそうな目。
聞きたいことは、いくつもあった。
けれど──。
アオイは、ノートをぱたんと閉じた。
今はまだ、聞かないことにした。
仮説は、証拠がそろってから。
それが、研究者だから。
空では、光の鳥たちにまじって、銀色の翼が、ゆっくりと輪をえがいていた。
その下で、ミアとハルンが、紙ふぶきの中で笑っていた。
アオイは、その景色をながめて、つぶやいた。
「魔法の科学……まだ、わからないことばかりですね」
その声は、少し楽しそうだった。
ひらり、と。
一枚の花びらが、閉じたノートの上に、そっと着地した。
空の上で、スチームが、くるる、と高く鳴いた。
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