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『雪の女王』なぜディズニーはエルサに変えたのか──カイの目と、アナの胸

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原作げんさくの『雪ゆきの女王じょおう』には、エルサは出でてきません。

では、ディズニーはなぜ「雪ゆきの女王じょおう」を、エルサという一人ひとりの女おんなの子こに作つくり変かえたのでしょうか。

比くらべていくと、変かえた部分ぶぶんにこそ意味いみがあることが見みえてきます。


原作げんさくの雪ゆきの女王じょおうは、「人ひと」ではなく「象徴しょうちょう」

まず、原作げんさくの雪ゆきの女王じょおうがどんな存在そんざいだったかを確認かくにんします。

美うつくしく、強つよい力ちからを持もち、カイを連つれ去さっていく。けれど——その心こころの中なかは、ほとんど描えがかれません。

なぜカイを連つれていったのか。何なにを思おもっていたのか。物語ものがたりは説明せつめいしないままです。

つまり原作げんさくの雪ゆきの女王じょおうは、悩なやみや事情じじょうを持もった登場とうじょう人物じんぶつというより、「冷つめたさ」そのものを表あらわす象徴しょうちょうに近ちかい存在そんざいです。

そして原作げんさくで本当ほんとうにこわいのは、雪ゆきの女王じょおうよりも、カイの心こころに入はいった鏡かがみのかけらのほうでした。


カイの「目め」に刺ささり、アナの「胸むね」に刺ささる

ここで、とても面白おもしろい対比たいひがあります。

原作げんさく『雪ゆきの女王じょおう』 映画えいが『アナと雪ゆきの女王じょおう』
刺ささるもの 悪魔あくまの鏡かがみのかけら 氷こおり
刺ささる場所ばしょ カイの目めと心こころ アナの胸むね
起おきること 世界せかいの見みえ方かたが冷つめたくなる 命いのちが凍こおっていく

カイは「目め」に刺ささります。 だから、世界せかいの見みえ方かたそのものが変かわってしまう。花はなを見みても美うつくしいと思おもえず、人ひとのやさしさをばかにするようになります。

アナは「胸むね」に刺ささります。 こちらは、命いのちそのものが凍こおりついていく危機ききです。

同おなじ「刺ささる」でも、変かわるものがまったくちがうのです。


そして、決定的けっていてきなちがい

さらに大事だいじなちがいがあります。

カイは、冷つめたい人ひとになってしまいます。 人ひとを傷きずつけるような態度たいどをとるようになる。

けれどアナは、冷つめたい人ひとにはなりません。 胸むねに氷こおりを受うけ、体からだが凍こおっていってもなお、最後さいごまでエルサを思おもい続つづけます。

つまり映画えいがでは、「凍こおること」と「心こころが冷つめたくなること」が切きり離はなされているのです。

体からだは凍こおっても、心こころはあたたかいまま。だからアナは、自分じぶんが助たすかることよりも、エルサを守まもることを選えらびます。そこに、原作げんさくとはちがう愛あいの形かたちが置おかれています。


外そとからの脅威きょういから、内側うちがわの苦くるしみへ

そのうえで、エルサという人物じんぶつを見みてみます。

エルサは、生うまれつき氷こおりの力ちからを持もっています。けれどその力ちからで、大切たいせつな人ひとを傷きずつけてしまうかもしれない。だから、自分じぶんの力ちからをこわがっています。

人ひとを傷きずつけたいわけではありません。傷きずつけたくないからこそ、扉とびらを閉とじて自分じぶんを隠かくすのです。

ここが、原作げんさくとの決定的けっていてきなちがいです。

  • 原作げんさくの雪ゆきの女王じょおう → 外そとからやってくる冷つめたい存在そんざい
  • エルサ → 自分じぶんの中なかにある力ちからに苦くるしんでいる人ひと

外そとの敵てきだったものが、心こころの内側うちがわの不安ふあんや孤独こどくに置おきかえられているのです。


なぜ、そう変かえたのか

理由りゆうは、いまの物語ものがたりの作つくられ方かたにあると思おもいます。

「悪わるい人ひとを倒たおして終おわり」ではなく、「その人ひとがなぜそうなったのか」を描えがく。 それが、現代げんだいの物語ものがたりで大切たいせつにされていることです。

エルサには理由りゆうがあります。本当ほんとうは人ひととつながりたい。けれど自分じぶんの力ちからがこわくて近ちかづけない。その苦くるしさが、氷こおりの力ちからとして表あらわれています。

氷こおりは、悪わるい魔法まほうではありません。不安ふあんや孤独こどくの形かたちなのです。

だから観みる人ひとは、エルサを倒たおすべき敵てきとは思おもいません。分わかる、と感かんじてしまう。 ここが、この作つくり変かえの中心ちゅうしんです。


王子おうじ様さまの愛あいから、姉妹しまいの愛あいへ

そして最後さいごに、もう一ひとつ。

  • 原作げんさく → ゲルダの愛あいが、カイを救すくう
  • 映画えいが → アナの愛あいが、エルサを救すくう

しかも映画えいがでは、それが王子おうじ様さまとの恋愛れんあいではなく、姉妹しまいの愛あいとして描えがかれます。

アンデルセンが書かいた「凍こおった心こころを愛あいがとかす」というテーマは、そのまま残のこっています。残のこしたうえで、誰だれと誰だれの愛あいなのかを描えがき直なおしたのです。


変かえた部分ぶぶんに、作つくり手しゅの考かんがえが出でる

こうして並ならべると、見みえてくることがあります。

どちらが正ただしいか、ではありません。 大事だいじなのは、「何なにを変かえたのか」「なぜ変かえたのか」です。

そこに、作つくり手しゅが何なにを伝つたえたかったのかが表あらわれます。

原作げんさくを知しってから映画えいがを見直みなおすと、エルサやアナの姿すがたが、少すこしちがって見みえてくるはずです。


考かんがえてみたい問とい

問とい ねらい
カイは目めに、アナは胸むねに刺ささるね。どうしてちがうんだろう 対比たいひに気きづく
エルサは、悪わるい人ひとだと思おもう? 単純たんじゅんな善悪ぜんあくで見みない
どうしてエルサは、扉とびらを閉しめてしまったのかな 行動こうどうの理由りゆうを考かんがえる
もし原作げんさくのまま映画えいがにしたら、どんな話はなしになるかな 作つくり変かえの意味いみを考かんがえる

この記事きじは、YouTube「おわか文庫ぶんこ」の考察こうさつ動画どうがをもとに書かいています。あわせて「原作げんさくにはエルサもアナも出でてこない」、「凍こおった心こころって、どんな心こころ?」もどうぞ。

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