『雪の女王』の「凍った心」って、どんな心?──人の悪いところばかり見えていませんか
▶ YouTubeで見る雪の女王|人の悪いところばかり見えていませんか?【読書感想文におすすめ‼︎】「アナと雪の女王」は知っていても、原作の『雪の女王』を読んだことがあるという方は、意外と少ないかもしれません。
原作には、映画とはずいぶんちがう物語が広がっています。なかでも大切なテーマの一つが、「凍った心」です。
この記事では、「凍った心」とは何だったのかを追います。
「凍った心」は、意地悪になることではない

主人公のカイは、悪魔の鏡のかけらが目と心に入ってしまったことで、変わってしまいます。
でもそれは、「急に乱暴になった」というような変化ではありません。
- 花を見ても、みにくいところばかりが目につく
- 人のやさしさが、ばかばかしく見える
- 楽しかった遊びが、くだらなく思える
まわりの世界は、何ひとつ変わっていません。変わったのは、カイの受け取り方だけです。
ここが、この物語のこわいところだと思います。「凍った心」とは、世界が冷たくなることではなく、自分の心があたたかさを感じられなくなることなのです。
カイは、連れ去られる前から凍り始めていた

そう考えると、順番が見えてきます。
雪の女王がカイをさらったから、カイが冷たくなったのではありません。カイの心が先に冷たくなっていて、雪の女王の宮殿は、その行き着く先だった——そう読むこともできます。
氷の宮殿は、とても美しい場所として描かれます。整っていて、静かで、けれどあたたかさがない。
きれいなのに、さびしい。
アンデルセンは「氷はこわい」と書きたかったのではなく、心が凍ると、世界がきれいに見えても、そこに喜びがなくなることを描いたのかもしれません。
いちばんこわいのは、本人が気づかないこと

宮殿でのカイは、氷のかけらを並べて言葉を作ろうとしています。けれど、どうしても大切な言葉だけが完成しません。
頭では考えられるのに、心ではわからない。知識や形には強くなっているのに、人を思う気持ちからは遠ざかっている。
そして何より——カイは、自分が冷たくなっていることに気づいていません。
心が凍っていると、自分では「正しく見えている」と思ってしまいます。むしろ、まわりの人のほうがばかに見えてしまう。
これは、昔の童話の中だけの話でしょうか。
- 誰かのよいところより、悪いところばかりが見えてしまう
- 感動することを、子どもっぽいと笑ってしまう
- 優しさを、弱さだと思ってしまう
大人になるほど、心当たりが出てくるかもしれません。
とかしたのは、魔法ではなかった

では、凍った心はどうやってとけるのか。
それが、ゲルダの旅です。
ゲルダは、カイを信じて探し続けます。「もうカイは変わってしまった」と、あきらめない。
これは、簡単なことではありません。相手が冷たくなっていたら、こちらも傷つきます。それでもゲルダは向かっていく。ゲルダの強さは、魔法の力ではなく、大切な人を信じ続ける心なのです。
そしてカイを見つけたとき、ゲルダは抱きしめて、涙を流します。その涙が、カイの胸のかけらをとかす。目からもかけらが落ちて、カイは世界のあたたかさを、もう一度感じられるようになります。
ゲルダは、むずかしい理屈でカイを説得したわけではありません。「あなたは大切な人だ」という気持ちを、まっすぐ届けただけです。
とても小さく見えるものが、いちばん冷たいものをとかしていく。
氷の宮殿より、ゲルダの涙のほうが強かった。ここにこの物語の美しさがあると思います。
考えてみたい問い
| 問い | 考える手がかり |
|---|---|
| 「カイって、悪い子になったんだと思う?」 | 「冷たい=悪い」ではないことに気づく |
| 「花がきれいに見えなくなるって、どんな気持ちかな」 | 感じ方が変わることを想像してみる |
| 「ゲルダはどうしてあきらめなかったんだろう」 | 信じ続ける強さについて考える |
| 「涙でとけるって、どういうことだと思う?」 | 力ではないもので解決することに触れる |
おわりに

『雪の女王』は、氷の女王を倒す物語ではありません。冷たくなった心を、もう一度あたためる物語です。
みなさんは、「凍った心」ってどんな心だと思いますか。
世界のよいところが見えなくなること。誰かの優しさを受け取れなくなること。感じ方は、きっと人それぞれです。
この記事は、YouTube「おわか文庫」の考察動画をもとに書いています。あわせて「原作にはエルサもアナも出てこない」、「なぜディズニーはエルサに変えたのか」もどうぞ。映画『アナと雪の女王』との比較は、②の記事でくわしく扱っています。
← 読み深め