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『モモ』時間は、使うものではなく生きるもの

モモ|生きるとは、時間である。【読書感想文におすすめ‼︎】▶ YouTubeで見るモモ|生きるとは、時間である。【読書感想文におすすめ‼︎】

『モモ』で時間じかんをつかさどる不思議ふしぎな存在そんざいが、マイスター・ホラです。

ホラが見みせる時間じかんは、時計とけいの針はりや予定よてい表ひょうの数字すうじだけではありません。人ひとが感かんじ、考かんがえ、だれかと生いきることと深ふかくつながっています。

時計とけいで測はかれる時間じかんと、心こころで感かんじる時間じかん

時計とけいでは、どの一いち時間じかんも同おなじです。けれど、楽たのしい一いち時間じかんは短みじかく感かんじ、つらい一いち時間じかんは長ながく感かんじることがあります。

同おなじ長ながさでも、心こころの中なかでは同おなじではありません。『モモ』は、その違ちがいから時間じかんの意味いみを考かんがえさせます。

時間じかんは、ためておけない

灰はい色いろの男おとこたちは、時間じかんをお金かねのように節約せつやくし、あとで使つかえるもののように考かんがえさせます。

けれど、友ともだちと話はなせる今いま、空そらを見上みあげる今いま、心こころを休やすませる今いまは、そのときにしか生いきられません。本当ほんとうの時間じかんは、貯金ちょきんのようにためておけるものではありません。

ホラの世界せかいでは、時間じかんは花はなのように描えがかれる

『モモ』では、一人ひとりひとりの時間じかんが、花はなのように美うつくしく描えがかれます。

時間じかんは冷つめたい数字すうじではなく、咲さいては消きえていく大切たいせつなものです。だからこそ、何なにかの役やくに立たつかどうかだけで決きめられません。

時間じかんを「使つかう」だけでは、見失みうしなうものがある

だれかとゆっくり話はなす時間じかん。好すきなことに夢中むちゅうになる時間じかん。悲かなしい気持きもちと向むき合あう時間じかん。

すぐに役やくに立たたないように見みえる時間じかんも、心こころを育そだてています。灰はい色いろの男おとこたちが奪うばおうとしたのは、まさにそうした時間じかんでした。

時間じかんは、生いきている証あかし

だれかを思おもうこと、迷まようこと、笑わらうこと、何なにかを感かんじること。そのすべてが、時間じかんの中なかで生うまれます。

だから時間じかんを奪うばわれることは、ただ忙いそがしくなることではありません。自分じぶんらしく感かんじ、考かんがえ、人ひととつながる力ちからを失うしなうことでもあるのです。

考かんがえてみたい問とい

問とい 考かんがえる手てがかり
同おなじ一いち時間じかんでも、短みじかく感かんじるときと長ながく感かんじるときがあるのはなぜ? 心こころで感かんじる時間じかんを考かんがえる
時間じかんをためておけないとは、どういうことだろう? 「今いましかできないこと」を考かんがえる
自分じぶんにとって、心こころを育そだてる時間じかんにはどんなものがある? 話はなす、遊あそぶ、休やすむ時間じかんを思おもい出だす

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