ミアとハルン 小さな魔法使いの旅
明日が来ない村


旅の途中、小さな魔法使いの姉弟は、先生と原っぱの小道を歩いていた。あたたかな日ざしがふりそそぎ、草をなでる風の音が心地よい。
「なんだか、お腹がすいてきたよ」
弟のハルンがつぶやくと、姉のミアも「そうね」と声をもらした。
先生は道の開けたところで立ち止まり、魔法のふろしきを取り出した。端をつまんでくるりと巻くと袋の形になり、中から旅の道具を取り出せる、ふしぎなふろしきだ。
「パンとごはん、どちらがいいですか」
「どっちでもいいよ」
ハルンは頭をかいて、あっさりと答えた。
「ハルン、またどっちでもいいって言ってる。なにも考えてないだけじゃないの?」
「そんなことないよ。本当にどっちでもいいんだもん」
ほっぺをふくらませるハルンに、ミアはため息をついて先生を見た。
「じゃあ、ごはんで。パンだとすぐお腹がすいちゃうから」

先生がふろしきを大きく広げると、ふろしきはふわりと宙を泳ぎ、気に入った場所におりた。するとその上に、おにぎりや干した魚が落ちてきて、まるで自分の席を見つけたようにぴたりとおちついた。

「なんか、ちょっとかたいなぁ」
おにぎりをほおばりながら、ハルンが言う。
「さっきの村で買ったお米ですね。この辺りのお米は、少し硬めなのです」
先生が申し訳なさそうにほほえんだ。
「うーん、やっぱりパンのほうがよかったかなぁ」
ミアはおにぎりをごくんとのみこみ、ハルンをじろりとにらんだ。
「さっき、どっちでもいいって言ったじゃない」
「でも、ごはんを選んだのはミアだよ。ぼくは決めてないもん」
先生はなにも言わず、おかしそうに目を細めて、ふたりを見ていた。
風がそっと吹きぬけ、草をやさしくゆらした。

昼食を終えて歩いていくと、大きな時計台のある小さな村にたどり着いた。短い針はちょうどてっぺんを指し、長い針ももうすぐてっぺんに届きそうだ。
「この村には精霊様が住んでいるといううわさです。一泊させてもらいましょう」
精霊は、人びとに魔法のお守りを与えてくれる。いろいろな土地の精霊に出会うことが、この旅の目的のひとつだった。
「精霊様に会えるといいなぁ」
ふたりは胸をはずませて、村の入り口をくぐった。
空は澄みわたり、太陽は高い。けれど、村の中はどこか不自然なほどしずかだった。
人はいるのに、物を売る声も、子どもたちの笑い声もない。道にいる人々はみんな足を止め、ぼんやりと遠くを見つめている。
「ねえ、この村……なんだか変だよ」
「うん。まるで時間が止まっているみたい」

先生は、道ばたのベンチに腰かけているおじいさんに近づいた。
「こんにちは、旅のものです。この村の宿屋はどこにありますか」
おじいさんは、ぼんやりとした目を向けた。
「……その身なり、魔法使いじゃな。おかしなことをせんでくれよ」
「おかしなことなんてしないわ。宿屋を探しているだけよ」
ミアがむっと顔をしかめる。
「探しても無駄じゃ。この村には〝明日が来ない〟からの。泊まる意味がない」
「明日が、来ない?」
「精霊様のいたずらで、時の流れを止められてしもうたんじゃ。ずっと今日が続いとる。昨日がいつだったかも、もう覚えておらんわい」
「精霊様が、そんなことするかな?」
ミアが思わず聞き返すと、おじいさんは投げやりに笑った。
「まあ、どっちでもいいことじゃ。明日が来ようが来まいが、どうせなにもする気はないんじゃから」

先生は礼を言うと、道の向こうの花屋へ歩き出した。かわいらしい花の描かれた看板。けれど店先には、一輪の花もなかった。
「あら、ごめんなさいね。今はお花がないの」
おくさんは申し訳なさそうに言った。
「お花屋さんなのに?」
ハルンが見上げると、おくさんは気まずそうに目をそらした。
「どうせ明日は来ないし、欲しがる人もいないから……」
「でも、こんなにかわいい看板があるのに」
ミアが看板を指さすと、おくさんは小さくため息をついた。
「昔はね、この村はやさしい人ばかりで、精霊様に愛された場所だったの。でも、みんなゆずり合ううちに、なぜだか、なにもする気がなくなってしまって。とうとう精霊様も愛想をつかして、時間を止めてしまったみたい」
そう話す声は、どこかさみしそうだった。

表に出ると、男の子がひとり、ぼんやりと空を見上げていた。
「なにしてるの?」
ハルンが声をかける。
「空を見てる。やることがないんだ。明日が来ないから、学校もないしね」
「なにか、したいことは?」
男の子は少し考えて、首をふった。
「ないよ。明日が来ないのに、したいことなんて」
その後も何人かに声をかけてみたが、返ってくる言葉はどれも同じだった。
「どっちでもいい」
「なんでもいい」
「だれかが決めるんじゃないかなぁ」
どの顔もぼんやりとして、まるで魂が抜けたようだった。

「もう、なんなのよ!」
ミアは、てっぺんから動かない太陽をにらみつけた。
「したいこともない、明日が来なくてもかまわないだなんて。全部精霊様のせいにしちゃって……なんだか変よ」
ぷんぷんと怒るミアのとなりで、ハルンがぽつりとつぶやいた。
「……お昼ご飯を決められない、ぼくみたいだ」
ミアは、はっとしてハルンを見た。
魔法には決まりがある。なにもないところからは生まれない。だれかの願いや思いが、魔法となって現れるのだ。
この村の時間を止めたのは、本当に精霊様のいたずらなのだろうか。
「おや。あれはなんでしょう」
先生の声に、ふたりは顔を上げた。時計台のそびえる広場だった。

そこには、広場いっぱいの大きなキャンバスがあった。
その前に、ひとりの女の子が立っている。風にゆれる、透き通るような長い髪。手には筆。真っ白なキャンバスを、じっと見つめている。
「なにを描いてるの?」
かけよったハルンに、少女はゆっくりと振り向いた。
「明日の絵。このままじゃなにも変わらないから、〝明日のわたし〟を描くの」

「でも、まだなにも描いてないみたいね」
追いついたミアが言うと、女の子はしずかに首をふった。
「この絵は、わたしだけじゃ完成しないの。村のみんなが〝明日の自分〟を描いてくれなくちゃ、明日の絵にはならない」
ふたりを見つめるひとみは、すいこまれそうなほど深く、夜空にまたたく星のようにかがやいていた。
「村のみんなにお願いしたの。でも〝そんなの意味がない〟って、だれも描いてくれなくて」
女の子は、真っ白なキャンバスを見つめたまま、小さく息をはいた。
ハルンは、ミアの服のすそをぎゅっと握った。
「ミア。ぼくたちも手伝えないかな」
「そうね。わたしたちからもお願いしてみよう」
女の子の髪がふわりと舞い、どこからか、やさしい花の香りがした。

ふたりは、もう一度村を歩いた。
「広場で女の子が大きな絵を描いてるんだ。ひとりじゃ描けないから、手伝ってあげてほしいんだ!」
ベンチのおじいさんは、首を横にふった。
「そんな絵、描いてなんになるんじゃ。わしには関係のないことよ」
花屋のおくさんは、ほほに手を当てて考えてから、ゆっくり首をかしげた。
「ごめんなさいね。絵を描きたい気分かどうかも、よく分からなくて」
空を見上げていた男の子は、しばらくだまってから言った。
「やめとくよ。別にどっちでもいいんだけど、なんとなく」
――なんとなく。
その言葉が、胸の奥にずしりとしずんだ。
村の人たちは、なにもしない。だから、なにも動かない。
風がまた、音もなく吹きぬけた。

ふたりはとぼとぼと広場にもどった。
「ごめんね。手伝ってくれる人、見つけられなかった」
「ありがとう。それでも、あなたたちが動いてくれて、本当にうれしかった」
女の子は、筆をぎゅっと握りしめた。
真っ白なキャンバスの前を、しずかに〝動かない時間〟が過ぎていく。
「さて、どうしますか」
先生が、ふたりを見比べた。
「先生。ぼくたちの魔法で、時間を進めることはできないかな」
「それはできません。しかし――村の人たちに〝明日〟を見せることは、できるかもしれませんね」
明日を見せる? 明日が来なくてもいいと思っている人たちに、どうやって?
ふと、ハルンは女の子を見た。
星くずをちりばめたような、きらきらしたひとみ。
きっとこの子には、明日が見えているんだ。この、星空みたいな目で――
星空……!
「ぼくたちで、満天の星空をつくろう!」
ハルンはとびはねるように言った。
「ずっと夜を見ていない村のみんなに、星空を見せるんだ! そしたら、本当の夜空が見たい、明日が見たいって思うかもしれない!」
「それ、すてき! でも、どうやって?」
ミアはあごに手を当てて考えこんだ。先生はこんなとき、決まって言うのだ。〝自分たちで考えてみてください〟と。
夜……まっくら……星……きらきら。
「分かったわ! ハルンの〝影の魔法〟で夜をつくって、わたしの〝光の魔法〟で星をちりばめるの!」
「いい考え! でも、ぼくの影の魔法は、ぼくひとりがかくれられるくらいの大きさだよ。村ぜんぶなんて……」
「わたしも光を、そんなに遠くまでは飛ばせないわ」

ふたりがうつむいたとき、ふわりと風が吹き、花の香りがした。
女の子が、ふたりの手をそっとつかんでいた。
「ふたりなら、大丈夫。きっとできるわ」
「魔法は思いです。願いが大きければ、きっと叶うでしょう」
先生もやさしくほほえむ。
ミアは、自信のなさそうなハルンの顔をのぞきこんだ。
「やる? やらない? どっちがいい?」
ハルンは、はっとした顔でミアを見返した。
「……やる!」
ミアとハルンは、大空を見上げた。太陽は変わらず、てっぺんから村を照らしている。
「さあ、ハルン。わたしの合図で」
ハルンの胸の奥が、どくんと高鳴る。
「始めるわ!」

ハルンはそっと目を閉じ、両手を広げた。指先がかすかにふるえる。
――影よ、広がれ。
ぶわんと空気がゆれ、ハルンの体から影があふれ出す。白くまぶしかった広場が、ふっと影に包まれていく。
でも、まだ足りない。広場の端まで届かない。
――もっと、大きく!
ぎゅっと両手を握りしめた、そのとき。
ふわりと、やさしい風が吹いた。花の香りがまう。
ハルンの影が、夜の波となって広がっていった。気づけば、村全体が深い夜に包まれていた。
「うわっ、真っ暗だ!」
「なにも見えないわ! なにがあったの?」
村中に、おどろいた声がひびきわたる。
「できた……なんで?」
となりで、女の子がやさしくほほえんでいた。
「ハルン、すごいじゃない! 次はわたし!」

夜の広場の真ん中で、ミアは空を見上げ、ゆっくりと指を動かした。指からこぼれるように光の粒が生まれ、ふわりとのぼっていく。
──まだ足りない。わたしの魔法じゃ、村中には広がらない!
また、やさしい風が吹く。花の香りが舞う。
一粒、また一粒。光が増えていくたび、村はしずかになっていった。
しずかで美しい星空が、真っ暗になった村をやさしく照らした。
「で、できた!」

村の人たちが、ひとり、またひとりと空を見上げる。家の中にいた人たちも、外へ出てくる。
「夜空だ……星空だ」
「こんな星空、もうわすれてしまっていたよ」
「なんだか、なみだが出てきた。なんだろう、この気持ち」
「胸がどきどきする。なにか、しなくちゃいけない気がする」
みんな、なみだを流しながら、まばたきも忘れて星を見ていた。
「わたし、なにかしたい。明日が、来てほしい……!」
だれかの声が、夜にひびいた。
やがて満天の星空はゆっくりとうすれ、太陽が再び顔を出した。
──ゴーン、ゴーン、ゴーン。
正午を知らせる鐘の音が、村中にひびきわたった。

足音が聞こえてきた。
村人たちが、絵筆を握りしめ、広場へと集まってくる。
「わたしも〝明日のわたし〟を描いていいかしら。なんだか、いてもたってもいられなくて」
花屋のおくさんだった。
「もちろん!」
女の子は、ふわりとはにかんだ。
「ぼくも、描きたくなったんだ」
空を見上げていた男の子もやってきた。
「わしも描くぞ」
大きなキャンバスの前には、あっという間に人だかりができた。
みんな、時間を忘れて夢中で筆を走らせた。

どれだけたったのだろう。ふと気がつくと、夕日がキャンバスをオレンジ色に染めていた。
「夕日だ……」
だれかがつぶやいた。村中の人が、色とりどりになったキャンバスを背に、西の空を見つめる。
──時間が、進んでいた。
「明日が、来る」
ふわりと風が吹き、花の香りがまった。
「明日が来るぞ!」
歓声が、広場いっぱいに広がった。
「わたしは明日、お花を育てるわ! 育てたいの!」
「ぼくは学校に行って、遊んで、勉強して、それから、それから!」
「おれは明日、曲をつくる!」
村中の人たちが、それぞれの〝明日〟を語り始めた。
ミアとハルンは顔を見合わせ、そっと胸をなでおろした。
「成功しましたね」
先生が、ふたりの肩をやさしくたたいた。

「おーい、魔法使いの」
人ごみをかき分けて、あのおじいさんが近づいてきた。
「あの星空、おまえさんたちなんじゃろ。……わしは、なんちゅう日々を過ごしてしまっとったんじゃろう」
おじいさんは息を整えると、しわだらけの顔をくしゃりとさせた。
「おわびとお礼をさせてくれ。わしは宿屋をしとるんじゃ。今夜は、もてなさせてくれんか」
ミアはハルンを見て、にやっといたずらっぽくわらった。
「ハルン、とまる? とまらない?」
ハルンも、同じようにいたずらっぽくわらって答えた。
「もちろん、とまる!」
そのあとも、ミアとハルンのまわりには次々と人が集まった。
みんなに話しかけられて、少し恥ずかしかったけれど、誇らしい気持ちでいっぱいになった。
ふと気がつくと、あの女の子の姿が見当たらない。きょろきょろと探してみたけれど、どこにもいなかった。
「そろそろ行きましょうか」
先生の声に、ふたりは広場をあとにした。
女の子と話せなかったのは残念だったけれど——また明日、会えるかもしれない。
この村には、明日がやってくるのだから。

広場をはなれていく三人の背中を、女の子はそっと見つめていた。
「ありがとう、小さな魔法使いさん」
ふわり——やさしい風が吹きぬける。透き通る髪がそよぎ、服のすそが、あわい光をおびてゆれた。
「わたしの大好きな人たちは、また明日を生き始めた」
あまい花の香りが、広場をやわらかく包みこむ。
「あなたたちの旅が、幸せに満ちたものでありますように——」
その声は風にとけるように、そっと消えていった。
金色の光が、女の子の体を包む。
その姿は、陽の光にとけるように、しずかに消えていった。
色あざやかに描かれたキャンバスが、にぎやかな〝明日の村〟を映していた。
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