『やまなし』命はめぐる──賢治が水の底に描いたもの
▶ YouTubeで見るやまなし|やまなしとはめぐる命【考察】『やまなし』を読み終えたとき、多くの人の心に残るのは、悲しさよりも、どこか静かで、あたたかい感触ではないでしょうか。
五月には、命が奪われる場面がありました。十二月には、実りがもたらされる場面がありました。このふたつをつなげて読むと、賢治がこの物語に込めたものが見えてきます。
「死んだ」のあとに、もう一度「わらった」
物語の入り口で、クラムボンは笑い、死に、殺されます。けれど物語はそこで終わりません。もう一度、クラムボンは笑います。
五月でかわせみに命を奪われた魚も、物語の中では悲しみとして描かれてはいません。お父さん蟹は、ただ淡々と「鳥だよ」と言うだけです。
そして十二月、同じように天井から落ちてくるものは、香り高いやまなしでした。沈んで、二日たてば、おいしいお酒になる。 消えてしまうのではなく、姿を変えて、誰かの中に残っていくのです。
死んで終わるのではなく、変わって続いていく。 それが、この物語がくり返し見せてくる形です。
賢治の妹、トシのこと
宮沢賢治には、歳の近い妹・トシがいました。仲のよい兄妹だったと伝えられています。
賢治の作品には、大切な人を失った悲しみと、それでも「どこかで続いている」と信じたいという思いが、たびたび顔を出します。『やまなし』の水の底の世界も、そうした賢治の心の風景と重ねて読む人が少なくありません。
もちろん、これは数ある読み方のひとつです。『やまなし』という物語そのものは、誰の死とも名指ししていません。けれど、死んでも、消えるのではなく、どこかで生きている——そう信じたい気持ちが、この物語の底に流れているとしたら。クラムボンの笑い声も、やまなしの香りも、少しちがって聞こえてくるかもしれません。
静かなのに、あたたかい物語
『やまなし』には、大きな事件も、はっきりした教訓も出てきません。蟹の子どもたちが笑ったり、こわがったり、ケンカしたりする、ただそれだけの物語のようにも見えます。
けれど、五月の危うさと十二月の実りを両方くぐり抜けたあとに読み返すと、この物語がずっと伝えていたことに気づきます。
命は、奪われても終わらない。形を変えて、めぐっていく。
クラムボンが「かぷかぷ」と笑うのも、やまなしが「いいにおい」を放つのも、水の底で静かに続いている、同じひとつの命のリズムなのかもしれません。
子どもと話してみたい問い
| 問い | ねらい |
|---|---|
| クラムボンは、最後にもう一度笑ったね。それってどんな気持ちだと思う? | 物語全体を振り返る |
| かわせみに食べられた魚と、やまなしが沈むこと。似ているところはあるかな | 対比を統合して考える |
| 「死んでも終わらない」って、どういうことだと思う? | 抽象的なテーマを自分の言葉にする |
| 大切な人のことを、いつまでも覚えていることについて、どう思う? | 感情に寄り添う対話(無理に答えを出さなくてよい) |
最後の問いは、答えを急がなくて大丈夫です。子どもが黙って考えている時間も、大切な時間です。
作品情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | やまなし |
| 作者 | 宮沢賢治 |
この記事は、YouTube「おわか文庫」の考察動画をもとに書いています。あわせて「クラムボンとは何か」、「五月と十二月、光といのちの対比」もどうぞ。
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