お盆は、こわい日ではなく、思い出す日だった?──目連尊者の物語からたどるお盆の由来
▶ YouTubeで見るお盆って怖い日!?母を救った息子|お盆の始まりの物語お盆は、少しこわい日だと思われることがあります。
「亡くなった人が帰ってくる」——そう聞けば、不思議な気持ちになるのも当然かもしれません。夜には提灯が灯り、怪談が増える季節でもあります。
けれど、お盆は本当に「こわがるための日」なのでしょうか。
お盆の始まりには、仏教に伝わるひとつの物語があります。苦しんでいる母を助けようとした、目連尊者という人の物語です。
目連尊者は、なぜ母を救えなかったのか
目連尊者は、お釈迦さまの弟子のひとりと伝えられている人です。亡くなった母のことを、とても大切に思っていました。
母が今どうしているのか知りたいと思った目連尊者は、母のゆくえを探します。すると、母はとても苦しい世界にいることがわかりました。食べ物をほしがっても食べられない——そんな苦しみの中にいたと伝えられています。
目連尊者は、もちろん母を助けたいと思いました。けれど、自分ひとりの力では、うまく助けることができませんでした。
そこで目連尊者は、お釈迦さまに相談します。お釈迦さまはこう教えました。
たくさんのお坊さんたちに食べ物をそなえて、心をこめて手を合わせなさい。
なぜ、「ほかの人」に、そなえるのか
ここが、この物語の大事なところです。
目連尊者は、最初、自分の母を助けたいと思っていました。それは、とても自然な気持ちです。けれど、たくさんの人を大切にする気持ちを持つと、それが母を助けることにつながっていく——お釈迦さまは、そう教えたのです。
目連尊者は、母だけでなく、ほかの人にもやさしくしました。そして、そのよい行いによって、母は苦しみから救われたと伝えられています。
つまりこの物語は、ただ「亡くなった人が帰ってくる」という話ではありません。大切な人を思い出すことが、今を生きている人へのやさしさにもつながるという話なのです。
お盆の風習に込められた意味
亡くなった人を思うことが、今のやさしさにつながる。そう考えると、お盆にまつわるさまざまな風習の見え方も、少し変わってきます。
お盆には、家族で集まったり、お供えをしたりします。提灯を出したり、お墓参りをしたりすることもあります。それは、こわがらせるためではなく、「忘れていないよ」と伝えるためなのかもしれません。
迎え火
迎え火は、帰ってくる人が迷わないようにする明かりだといわれています。「こっちだよ」と知らせる火です。だからお盆の火は、こわがらせる火ではなく、待っている気持ちを表す火なのです。
きゅうりの馬と、なすの牛
きゅうりの馬には、早く帰ってきてほしいという気持ち。なすの牛には、ゆっくり帰ってほしいという気持ちが込められているといわれます。
そこにあるのは、「会いたい」と「まだ帰らないで」——ふたつの気持ちです。
夏の怪談
夏に怪談が多いのも、ただ人をこわがらせるためだけではないのかもしれません。いなくなった人を思う気持ちも、そこにはあるのかもしれない。
もう会えない人。忘れてはいけない気持ち。目に見えないそうしたものを、昔の人は物語にしてきたのです。
お盆は、思い出す日
お盆は、亡くなった人をこわがる日ではありません。大切な人を思い出して、その思いを今のやさしさにつなげる日なのだと思います。
こわいと思っていたものも、意味を知ると、少し違って見えてくるものです。
あなたは、お盆に、だれのことを思い出しますか。
| 問い | 考えられること |
|---|---|
| 目連尊者は、なぜひとりでは母を助けられなかったのだろう | ひとりの力の限界と、人とのつながりの意味 |
| なぜ「ほかの人」を大切にすることが、母を助けることにつながったのだろう | やさしさの広がり方 |
| 迎え火や、きゅうりの馬・なすの牛には、どんな気持ちが込められているだろう | 会いたい気持ちと、離れがたい気持ち |
| 自分にとって、忘れたくない人やことは何だろう | 自分自身とのつながり |
← 読み深め