『一つの花』気持ちは、どこに書いてある?──わざと書かない、という書き方
▶ YouTubeで見る一つの花|わざと書かれていないことがある!?【解説】『一つの花』を読み返すと、不思議なことに気づきます。
「悲しかった」「つらかった」といった、気持ちを書いた言葉が、ほとんど出てこないのです。
戦争へ向かう父親。それを見送る家族。これほど気持ちが動く場面なのに、作者はその気持ちを説明しません。
それなのに、読んだ人には気持ちが伝わってきます。どうやって伝えているのでしょうか。
言葉と行動だけが書かれている

たとえば、お父さんが花を渡す場面。
一つだけのお花、大事にするんだよう。
この言葉のあとに、「やさしく言いました」とも「悲しそうに言いました」とも書かれていません。
書かれているのは、言ったことと、したことだけです。
それでも読者は、お父さんの気持ちを想像します。これから戦争へ行く人が、幼い娘に最後に手渡した花。そこにどんな思いがあったのか——説明されないからこそ、読む人が自分で考えることになります。
「──」が語っていること

もう一つ、この物語には目立つ特徴があります。
「──」(ダッシュ) が、たびたび使われていることです。
ダッシュは、言葉が途中で止まったり、その先が続けられなかったりするときに使われます。
では、なぜ言葉が続かないのでしょうか。
気持ちが強すぎて、言葉にできないときです。
戦争へ発つ父。見送る母。それを見ている幼い娘。この人たちの胸の内は、とても一言では言い表せないものだったはずです。
言えなかった、という事実そのものが書かれている。 ダッシュは、その空白の形なのだと思います。
説明しないほうが、強く伝わる

「悲しかった」と書いてしまえば、読者はそこで納得して先に進みます。気持ちが一つに決まってしまうからです。
けれど何も書かなければ、読者は立ち止まります。
- どんな気持ちだったんだろう
- 自分だったら、どう思うだろう
- どうして、言葉が続かなかったんだろう
読者が想像した気持ちのほうが、書かれた気持ちより強く残ります。 自分で考えたものだからです。
作者は、その効き方を知っていたのだと思います。
書かない、という選び方

『一つの花』の作者・今西祐行(いまにし すけゆき) さんは、1923年に生まれた児童文学作家です。
自身も学生のうちに戦地へ送られ、さらに広島に原子爆弾が落とされた翌日、救援隊として現地に入り、五日間を過ごしています。作品の中には、この体験から生まれたものもあると伝えられています。
戦争を、身をもって知っている人でした。
その人が、戦争の悲惨さを声高に書かなかった。書いたのは、食べ物を分ける母の一言、駅での小さなやりとり、一輪の花でした。
大きなことを大きな声で言うのではなく、小さな場面を静かに置いていく。読む人が自分で気づくまで待つ書き方を、今西さんは選んだのだと思います。
考えてみたい問い
この記事の視点は、「作者はどう書いているか」に目を向ける読み方です。国語の授業で扱われる「表現の工夫」にもつながります。
| 問い | ねらい |
|---|---|
| このお話に「悲しい」って言葉、出てくるかな。探してみよう | 書かれていないことに気づく |
| 「──」が出てくるところを探してみよう | 記号にも意味があると知る |
| どうして言葉が途中で止まっているんだろう | 空白の意味を考える |
| もし「お父さんは悲しそうでした」と書いてあったら、感じ方は変わるかな | 書かないことの効果を考える |
最後の問いは、書き手の工夫に気づくきっかけになります。「書いてあったほうが分かりやすい」と言う子がいても、それも立派な意見です。そこから「じゃあ、どうして書かなかったんだろう」と一緒に考えてみてください。
この記事は、YouTube「おわか文庫」の考察動画をもとに書いています。あわせて「一つだけちょうだい」は、こわい言葉だった、「お父さんはなぜ花を渡したのか」、「なぜ題名は『一つの花』なのか」もどうぞ。
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