読み深め

『一つの花』なぜ題名は「一つだけの花」ではないのか──最後の場面が答えている

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この物語ものがたりには、ずっと「ひとつだけ」という言葉ことばがついてまわります。

ゆみの「ひとつだけちょうだい」。おかあさんの「ひとつだけよ」。そしておとうさんの「ひとつだけのはな」。

それなのに、題名だいめいは『ひとつのはな』です。

「だけ」が、ありません。

これは、どういうことなのでしょうか。


ひとつだけ」が意味いみしていたこと

まず、物語ものがたり前半ぜんはんで「ひとつだけ」がなにあらわしていたかを整理せいりします。

それは、りないことでした。

ものりない。だからひとつだけ。もっとあげたくても、あげられない。「だけ」という言葉ことばには、そこでめだという線引せんひふくまれています。

ゆみ世界せかいは、そのせん内側うちがわにありました。


最後さいご場面ばめんで、世界せかいわっている

ところが、物語ものがたり最後さいごは、それまでとまるでちがう景色けしきになります。

じゅうねん。ゆみいえのまわりには、コスモスのはながいっぱいにいています。

いちりんだったはなが、いつのまにか、あたりいちめんひろがっているのです。

そして、おかあさんがゆみこえをかけます。

にくとおさかなとどっちがいいの。

ここも、おおきな変化へんかです。ゆみは、えらべるようになっています。

ひとつだけ」しからなかったが、ふたつのうちどちらがいいかとかれる。それは、線引せんひきのない世界せかいきているということです。

  • いちりんだったはないちめんのコスモス
  • ひとつだけ → どっちがいい?

「だけ」がらない世界せかいに、なっている。

だからこの物語ものがたり題名だいめいは、『ひとつだけのはな』ではなく『ひとつのはな』なのだとおもいます。


けれど、これはただのしあわせな結末けつまつではない

ここでわれば、めでたいはなしになります。けれど、この物語ものがたりはそうなっていません。

とうさんが、そこにいないのです。

はなきそろい、ものえらべるようになりました。それでも、あのゆみはなわたしたひとは、かえってきませんでした。

平和へいわになっても、戦争せんそううしなわれたものはもどってこない。

だからこの最後さいご場面ばめんには、あかるさとさみしさが同時どうじにあります。えたあとにのこ不思議ふしぎかんじは、そのためだとおもいます。

コスモスはたけは、たしかに平和へいわ風景ふうけいです。けれどその風景ふうけいなかに、いるはずのひとがいないのです。


いちりんから、いちめん

それでも、この結末けつまつ絶望ぜつぼうではわりません。

とうさんがわたした一輪いちりんはなは、そのかぎりでえたわけではありませんでした。じゅうねんいちめんのコスモスにつながっています。

いちりんはなから、たくさんのはなへ。 りない世界せかいから、えらべる世界せかいへ。 そして、おとうさんのおもいから、ゆみ毎日まいにちへ。

この物語ものがたりが『ひとつのはな』という題名だいめいなのは、あのいちりんが、そののすべてにつながっているからなのだとおもいます。

ちいさなひとつが、いつかおおきくひろがっていく。そういうねがいが、この題名だいめいにはめられているのかもしれません。


かんがえてみたい

ねらい
とうさんは「ひとつだけのはな」とったのに、題名だいめいは『ひとつのはな』。どうしてだろう 題名だいめい意味いみかんがえる
最後さいご場面ばめんで、わったものをいくつつけられる? 対比たいひづく
「おにくとおさかなとどっちがいいの」って、どんなことをあらわしているとおもう? 何気なにげない一言ひとこと意味いみ
うれしいわりかたかな。さみしいわりかたかな 単純たんじゅんめないかた

最後さいごいは、どちらかにめなくて大丈夫だいじょうぶです。「両方りょうほうだとおもう」とえたなら、この物語ものがたりをよくめています。


この記事きじは、YouTube「おわか文庫ぶんこ」の考察こうさつ動画どうがをもとにいています。あわせてひとつだけちょうだい」は、こわい言葉ことばだった「おとうさんはなぜはなわたしたのか」かれていない気持きもちのかたもどうぞ。

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