『一つの花』なぜ題名は「一つだけの花」ではないのか──最後の場面が答えている
▶ YouTubeで見る一つの花|どうして題名は一つの花?この物語には、ずっと「一つだけ」という言葉がついて回ります。
ゆみ子の「一つだけちょうだい」。お母さんの「一つだけよ」。そしてお父さんの「一つだけのお花」。
それなのに、題名は『一つの花』です。
「だけ」が、ありません。
これは、どういうことなのでしょうか。
「一つだけ」が意味していたこと

まず、物語の前半で「一つだけ」が何を表していたかを整理します。
それは、足りないことでした。
食べ物が足りない。だから一つだけ。もっとあげたくても、あげられない。「だけ」という言葉には、そこで打ち止めだという線引きが含まれています。
ゆみ子の世界は、その線の内側にありました。
最後の場面で、世界が変わっている

ところが、物語の最後は、それまでとまるでちがう景色になります。
十年後。ゆみ子の家のまわりには、コスモスの花がいっぱいに咲いています。
一輪だった花が、いつのまにか、あたり一面に広がっているのです。
そして、お母さんがゆみ子に声をかけます。
お肉とお魚とどっちがいいの。
ここも、大きな変化です。ゆみ子は、選べるようになっています。
「一つだけ」しか知らなかった子が、二つのうちどちらがいいかと聞かれる。それは、線引きのない世界に生きているということです。
- 一輪だった花 → 一面のコスモス
- 一つだけ → どっちがいい?
「だけ」が要らない世界に、なっている。
だからこの物語の題名は、『一つだけの花』ではなく『一つの花』なのだと思います。
けれど、これはただの幸せな結末ではない

ここで終われば、めでたい話になります。けれど、この物語はそうなっていません。
お父さんが、そこにいないのです。
花は咲きそろい、食べ物も選べるようになりました。それでも、あの日ゆみ子に花を渡した人は、帰ってきませんでした。
平和になっても、戦争で失われたものは戻ってこない。
だからこの最後の場面には、明るさとさみしさが同時にあります。読み終えたあとに残る不思議な感じは、そのためだと思います。
コスモス畑は、たしかに平和な風景です。けれどその風景の中に、いるはずの人がいないのです。
一輪から、一面へ

それでも、この結末は絶望では終わりません。
お父さんが渡した一輪の花は、その日かぎりで消えたわけではありませんでした。十年後の一面のコスモスにつながっています。
一輪の花から、たくさんの花へ。 足りない世界から、選べる世界へ。 そして、お父さんの思いから、ゆみ子の毎日へ。
この物語が『一つの花』という題名なのは、あの一輪が、その後のすべてにつながっているからなのだと思います。
小さな一つが、いつか大きく広がっていく。そういう願いが、この題名には込められているのかもしれません。
考えてみたい問い
| 問い | ねらい |
|---|---|
| お父さんは「一つだけの花」と言ったのに、題名は『一つの花』。どうしてだろう | 題名の意味を考える |
| 最後の場面で、変わったものをいくつ見つけられる? | 対比に気づく |
| 「お肉とお魚とどっちがいいの」って、どんなことを表していると思う? | 何気ない一言の意味を読む |
| うれしい終わり方かな。さみしい終わり方かな | 単純に決めない読み方 |
最後の問いは、どちらかに決めなくて大丈夫です。「両方だと思う」と言えたなら、この物語をよく読めています。
この記事は、YouTube「おわか文庫」の考察動画をもとに書いています。あわせて「一つだけちょうだい」は、こわい言葉だった、「お父さんはなぜ花を渡したのか」、「書かれていない気持ちの読み方」もどうぞ。
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