『ちいちゃんのかげおくり』ちいちゃんは、幸せだったのか
▶ YouTubeで見るちいちゃんのかげおくり|ちいちゃんは幸せだった!?最後のかげおくりで、ちいちゃんは空に家族の姿を見ます。
お父さん、お母さん、お兄ちゃんが、笑いながら歩いてくるのが見えるのです。
家族に会えた。それなら、ちいちゃんは幸せだったのでしょうか。
この問いに、簡単には答えられません。 そして、答えられないことこそが、この物語の大事なところだと思います。
そのとき、ちいちゃんの体は

まず、その直前の一文を思い出してください。
ふらふらする足をふみしめて、立ち上がりました。
ちいちゃんの体は、もうまっすぐ立てないほど弱っています。
そんな状態で、ちいちゃんはかげおくりをしました。
なぜでしょうか。
あの日を、もう一度

思い当たるのは、一度目のかげおくりです。
あれは、お父さんが戦争へ行く前の日でした。家族四人がそろっていて、みんなで笑って、よく遊んだ日。
ちいちゃんにとって、いちばん幸せだった時間です。
ひとりになり、体も弱っていく中で、ちいちゃんは同じことをしました。あの日をもう一度取り戻したかったのかもしれません。
そう考えると、この最後の行動には、切実な願いがこもって見えてきます。
「こんな所にいたから、来なかったのね」

空に家族が見えたとき、ちいちゃんはこう言います。
こんな所にいたから、来なかったのね。
この一言には、二つのことが同時に入っています。
ひとつは、ずっと待っていたということ。 家族はきっと迎えに来てくれる——ちいちゃんはそう信じ続けていました。だから「来なかったのね」という言葉が出てくるのです。
もうひとつは、そのとき初めて気づいたということ。 もう、迎えには来ない。会えないのだ、と。
信じ続けた気持ちと、その終わりが、この短い一言に重なっています。
それでも、家族は笑っていた

ここで見落としたくないのは、空の家族が笑っているということです。
怒ってもいない。悲しんでもいない。ただ、笑いながら歩いてくる。
責めるでもなく、あたたかく迎えているようにも見えます。
だからこの場面は、悲しいだけでは終わりません。悲しいのに、あたたかい。 そのどちらもが、同時にそこにあります。
そして、この一文

その直後に、こう書かれます。
小さな女の子の命が、空にきえました。
家族に会えた、まさにその瞬間です。
ここが、この物語のいちばん深いところだと思います。この一文は、二通りに読めるからです。
- 家族に会えた、と読むこともできる
- ひとりで命を終えた、と読むこともできる
どちらも本当です。 作者は、どちらか一方に決めていません。
幸せと悲しさが、同じ場所にある

だからこの物語は、「幸せだったね」で終わらせてくれません。かといって「かわいそうだったね」でも終わりません。
幸せと悲しさが、同じ一つの場面に置かれている。
ふつうの物語なら、どちらかに寄せて終わらせます。読んだ人が落ち着けるからです。けれど『ちいちゃんのかげおくり』は、それをしません。
だから読み終えたあと、気持ちの置き場所が見つからないまま、ずっと残るのだと思います。
答えを決めなくていい

「ちいちゃんは幸せだったのか」——この問いに、正解はありません。
家族に会えたのだから幸せだった、と考えてもいい。ひとりで命を終えたことを重く受け止めてもいい。その両方だと思う、というのがいちばん自然な答えかもしれません。
大人が先に答えを言ってしまうと、子どもは考えるのをやめてしまいます。分からないまま持ち帰ることにも、意味があります。
考えてみたい問い
| 問い | ねらい |
|---|---|
| ちいちゃんは、どうして最後にかげおくりをしたんだろう | 行動の理由を考える |
| 空の家族は、どうして笑っていたと思う? | 描写の意味を読む |
| 「こんな所にいたから、来なかったのね」って、どんな気持ちの言葉だろう | 一言の重さに気づく |
| ちいちゃんは、幸せだったと思う? | 答えを決めずに考える |
最後の問いは、答えが出なくて大丈夫です。 「わからない」「どっちもだと思う」と言えたなら、この物語をとてもよく読んでいます。
この記事は、YouTube「おわか文庫」の考察動画をもとに書いています。あわせてかげおくりの意味は、なぜ変わったのか、「悲しい」と書かない悲しい話、「それから何十年」が伝えていることもどうぞ。
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