『ちいちゃんのかげおくり』「悲しい」と一度も書かない、悲しい話
▶ YouTubeで見るちいちゃんのかげおくり|悲しいと書かない悲しい話『ちいちゃんのかげおくり』は、読み終えたあとに長く胸に残る物語です。
けれど、本文を探してみてください。
「悲しい」という言葉が、一度も出てきません。
「こわい」も、「さびしい」も、「つらい」も出てきません。
これほど気持ちが動く物語なのに、気持ちを表す言葉が使われていないのです。それなのに、私たちにはちゃんと伝わります。
どうやって伝えているのでしょうか。
気持ちのかわりに、体が書かれている

最後のかげおくりの場面に、こんな一文があります。
ふらふらする足をふみしめて、立ち上がりました。
ここには、気持ちの言葉が一つもありません。書かれているのは、足の状態だけです。
けれど読んだ人は、すぐに感じ取ります。
- もう、まっすぐ立てないほど弱っている
- それでも、立とうとしている
「つらい」と書くよりも、「ふらふらする足」と書くほうが、ずっと強く伝わります。 読んだ人の頭の中に、その姿がそのまま浮かぶからです。
音が、気持ちのかわりになる

もう一つ。空を見上げたちいちゃんに、家族の声が聞こえてくる場面があります。
お父さんの声、お母さんの高い声、お兄ちゃんの笑いそうな声が——かさなって聞こえだした、と書かれています。
ここでも、気持ちの説明はありません。「うれしい」とも「会いたい」とも書かれていない。ただ、声が聞こえてくるだけです。
けれど、その家族はもうそこにいません。いないはずの声が聞こえている——その事実だけで、読む人の胸は締めつけられます。
状況そのものが、気持ちの代わりになっているのです。
なぜ、書かないのか

では、なぜ「悲しい」と書かないのでしょうか。書いたほうが分かりやすいはずです。
理由は二つあると思います。
ひとつ目——そのほうが、はっきり見える
読むのは子どもたちです。
むずかしい言葉で気持ちを説明されるより、「ふらふらする足」という一文のほうが、場面がそのまま目に浮かびます。
説明は頭に届きますが、描写は体に届きます。
ふたつ目——読む人が、考えなくなるから
こちらのほうが、もっと大事だと思います。
「悲しい」と書いてしまうと、読んだ人はそこで止まってしまいます。
「ああ、悲しい話なんだ」——そう受け取って、先へ進んでしまう。気持ちが一つに決められてしまうのです。
けれど書かれていなければ、読む人は立ち止まります。
「これは、どういう気持ちなんだろう」
そして、自分の中から答えを探しはじめます。
自分の中から出てきた気持ちは、教えられた気持ちよりも、ずっと深く残ります。
この物語は、読む人を信じているのだと思います。
同じ作者の、同じ選び方

作者のあまんきみこさんは、『白いぼうし』も書いています。
その『白いぼうし』でも、あまんさんは大事なことを書いていません。あの不思議な女の子の正体を、最後まで明かさないのです。
説明しない。決めない。そのかわり、読む人が考える余白を残す。
これは、この作者が一貫して選んでいる書き方なのかもしれません。
考えてみたい問い
この記事の見方は、国語の授業で扱われる 「表現の工夫」 にもつながります。
| 問い | ねらい |
|---|---|
| このお話に「悲しい」って言葉、出てくるかな。探してみよう | 書かれていないことに気づく |
| 「ふらふらする足」って、どんな様子だろう | 描写から想像する |
| もし「ちいちゃんは悲しかった」と書いてあったら、感じ方は変わるかな | 書かないことの効果を考える |
| いちばん心が動いたのは、どの場面だった? | 自分の感じ方を言葉にする |
最後の問いには、正解がありません。 どこで、どんな気持ちを感じたか。それを言葉にできたら、それがその子の答えです。
この記事は、YouTube「おわか文庫」の考察動画をもとに書いています。あわせてかげおくりの意味は、なぜ変わったのか、ちいちゃんは幸せだったのか、「それから何十年」が伝えていることもどうぞ。
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